未来創造塾って今どうなってるの? 村井学部長に聞く「いままで」と「これから」
今年でスタートから10年を迎えた未来創造塾。その名前はSFC内でもよく知られているが、歴史や実態はその名前ほどは知られていない。SFC CLIP編集部は村井純環境情報学部長に取材を行い、未来創造塾の現状やそれに至る経緯、そしてSBCも含めた未来創造塾の今後の方針について聞いた。
始動から10年 「未来創造塾」の現在
2015年にスタートし、今年7月に「滞在棟2」が着工されたSBC(Student Build Campus)。SBCはもともと有志によりスタートしたプロジェクトだったが、現在は未来創造塾のサブプロジェクトとしてSFC脇の「EAST街区」(以下、EAST)にて滞在教育棟の建設や滞在型教育の実践などを行っている。しかしその一方で、未来創造塾の現状やそれに至る経緯についてはあまり広く知られていない。
未来創造塾は、2007年に慶應義塾創立150年記念事業の1つとしてSFCで始動した。「学問の力で世界を新しい時代へと導く」ことや「慶應義塾のグローバルゲートウェイになる」ことをビジョンとして掲げ、そのための知的環境作りとして滞在型教育や滞在型研究を推進してきた。しかし、第1期工事では180名規模の滞在教育棟を、最終的には650名規模の滞在教育棟を建設する計画が立てられていたが、プロジェクト始動から10年が経った今でも180人の学生を収容できる環境は整っていない。「WEST街区」(以下、WEST)に関しては更地のままである。
180名収容の滞在教育棟はどこに? SBCとの関係は? 村井学部長にインタビュー
—— まず、未来創造塾の現状と、それに至るまでの経緯を教えてください。
未来創造塾は、慶應の創立150年記念に合わせて「EASTとWESTを合わせて滞在型の施設を作ろう」というコンセプトを認めてもらい、慶應が事業を進めていました。ただ、実際に慶應が達成できたのは、未来創造塾を作るためにまとまった土地を用意するところまでです。そもそも未来創造塾全体のコンセプトを150年記念事業として申請したので、本当はその滞在型の施設まで建築できてしまえばよかったんですね。
ただ、予算の見直しなどを行っているうちにリーマンショックが起こり、慶應の経済的な事情が変わってしまいました。そしてリーマンショック後に建物を建設するための募金をしようと思ったのですが、EASTとWESTの全部の構想を募金で賄うのは無理だということで、EASTの部分は一旦置いておいて、WESTの部分だけの図面を描いて予算を決め、入札をしたんです。すると次は東京オリンピックの開催が決まり、コストが高騰してしまいました。建設のための材料も減り、人員も少なくなり、ある意味で建設バブルみたいな、尋常でない事態が起こったわけです。
選択肢としては、小さな規模で建設する、オリンピックの後まで待つ、木造など別の形で建設する、などがありました。「この予算でできるとしたらこの大きさだ」という絵も出てきていましたが、計画の規模がかなり縮小されており、当初のコンセプトから外れてしまっていました。そして、仮にオリンピック前に建設に取り掛かってオリンピック後に継ぎ足しをするとしても、オリンピック後の状況は予想がつきませんでした。それでは本来目指しているものを作れるかが分からないということもあり、土地の整備だけを終えて、施設の建設はオリンピック後まで待つことにしました。
—— 現在EASTではSBCの滞在棟が建設されていますが、SBCが未来創造塾の一環としてスタートするまでにはどのような経緯があったのですか?
そのWESTの計画がストップしていた時に、SFCの力が別の形で動いてきたんですよ。それはデジタルファブリケーションです。僕が3、4年前の授業「環境情報学の創造」で自分の体に合った椅子を作るという課題を学生に出して、その時に建築の池田靖史教授やデザインの田中浩也教授、筧康明准教授に手伝ってもらったんです。すると、今の技術では、自分の体のカーブを測ることができるようになっていて。しかもそれに合わせてコンピュータで設計すると、レーザーカッターで木を切れるようになっていたんです。木を曲線で切るなんて昔だったら糸ノコで相当熟練しなければできなかったのに、今ではコンピュータで設計すれば曲線でもなんでも切れます。これがデジタルファブリケーションの魔力です。それで、産業変化が起こって物の価値がガラリと変わるだろうと思ったわけです。自分で思いついたらそれを作れるようになったり、本当の工作物をコンピュータで作り出すことができるようになったりすると思いました。極端な話、建物とかも学生が作れるような時代になったんじゃないかと夢を膨らましたんですね。建築ってそう甘くはないんですけど(笑)
ただ、それが「SBC」=Student Build Campus(学生によって創られるキャンパス)の発想の元になりました。それで、建築やデザインの先生たちと「それはできるのか」という話をしたら、どこまでできるのかに関してはいろんな意見があったけど、「できるかも」って言うわけです。なので、とにかく「みんなの力で作る」というコンセプトでEASTの方に着手することにしました。WESTはいつでもスタートできる時にスタートすればよかったんですが、オリンピックが終わるまでの数年間、未来創造塾で何もしないってわけにはいかなかったので。そういった経緯があり、滞在型教育のコンセプトを併せ持つSBCを未来創造塾の新しいバージョンとして作ってみました。
未来創造塾の計画ではビルが建つだけだったんですが、SBCであれば好きなものを学生が作るわけなので、かえってよいと思いましたね。木造だから好きなように作り直してもいいし、失敗したらやり直せばいい。それでも安全性や建築基準は大事なので、そういうことも学びながら進めます。「学生たちが中心になって先生たちとキャンパスを創り続ける」という発想は未来創造塾にはなかったのですが、実際のところ「入学してから自分たちの生きる場所を自分たちで作る」というのは世界中のどこのキャンパスを見渡してもありませんでした。なので、一度始めてみて、それが今に続いてるといった感じです。
—— SBCの経費はどこから出ているのですか?
経費は、「経常費」というキャンパスを修復したりするために使えるお金を5年分前倒しで使って賄っています。そうすれば経営上問題ないので。木造だとそういったお金でできてしまうので、寄付金はWESTの方にとってあります。WESTは建設を始める機会を伺っている状態なので、手をつけていないです。ただ、SBCは滞在型教育のコンセプトで未来創造塾の一部としてやっているので、SBCは「未来創造塾のサブプロジェクト」ということになります。
—— では、前倒しにしている5年分の経常費を使い切ってしまった後はどうなるのですか?
経常費を使い切った後も同じように運営し続けられると思います。そのために滞在棟に滞在する人からはお金を取っていますが、滞在棟で1回に宿泊できる人数が180人で、年間で何割が使われるのかというのが分かると、1泊いくらにするべきかが分かりますね。そうすると、これで自立的な運用モデルを作れます。運用モデルができてしまえば一定の維持費を徴収しながら継続することができるので、そういう意味では投資期間の予算は切れても大丈夫なんです。
ただここまではあくまで計画で、計画っていうのはうまくいかないことがあります。寮みたいに年間を通して住めるかとか、運用の体制がきちんと整うかとか、そういった課題が発生します。滞在型の建物をみんなで作っていて分かったのは、学生が本当にこのキャンパスに欲しかったのは「寮」より「合宿所」だった、ということでした。少なくとも滞在棟1は、1年中住んでいるのではなく、キャンパスの中で何かを集中的にやる時だけ住む感じになっていますよね。それが今後、どのような形の建物が増えていくかはまた変わってくると思います。だから5年経ってみないと最終的な運用モデルは固定できないし、完全運用にもならないです。なので、5年分は先取りしてお金を用意しなきゃいけなかったんです。そのために経常費からそのお金を用意しました。5年経ったら、前年度の収入でその年の運用をしていくという意味で1年ごとの更新になって、その時は運用のモデルができている。というわけで、5年後の予算はあんまり考えなくていいはずなんです。
未来創造塾に関しては、最初の5年ではリーマンショックがあり、その次の5年にはオリンピックの誘致があり、その後には病院が建ち、さらには相鉄線の延伸の可能性が具体化してきました。5年も経つと周りの状況がかくも変わるわけです。こういったさまざまなことが起こると、時間がかかることもあります。ですが、そのロスがかえっていい方向に働くこともあります。未来創造塾は、当初の計画を大切にし、そのような状況を乗り越えながら、未来を創っていくのだと思います。
—— ありがとうございました。
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