湘南藤沢キャンパス35年の路線バス考古
1990(平成2)年度に環境情報・総合政策の2学部を以て発足した慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)は、本年度をもって設立35周年を迎えた。人間の関係するあらゆる存在はだいたい節目の年を迎えると懐古し考古されるようで、SFCもやはり節目ごとに公式/非公式問わず多くの記事が出ている。もちろん関係するのはSFCを支えた人たち、つまりは塾長や学部長を筆頭とする教職員や事務職員の皆様、塾生、未来からの留学生、地元藤沢遠藤の皆様などだが……。いや待て、忘れられていないか。SFCに通う大多数の人間が利用する、あの交通機関を……。今回は、SFCと共に走ってきてくれた愛すべき乗りものの、あまり振り返られることの無かった35年間を考古してみたい。
前史1 湘南台と鉄道
SFC開設時より多くの学生が利用する湘南台駅。中でも、小田急電鉄(小田急)江ノ島線は現在湘南台駅に乗り入れる鉄道3社局線の中で最古参であるが、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)江ノ島線 大野信号所(現:相模大野)―片瀬江ノ島が開業した1929(昭和4)年、現在〝湘南台〟と呼ばれる地域に駅はなく、田園風景の広がるところであった。長らくこの付近の中心地は長後で、大山街道(長後街道)・滝山街道(藤沢街道・八王子街道)の交差する宿場町としてだけでなく、農業の中心としても栄えていた。江ノ島線開業時に駅が設置(当時:新長後)されてから湘南台駅の開業する直前までは貨物の取り扱いも行っていたほどである。高座郡渋谷町長後地区は戦後1955(昭和30)年に藤沢市へ編入され、藤沢市北部の中心として栄えた。
1957(昭和32)年、藤沢市は市北部の都市計画について、新長後(現:長後)駅と六会(現:六会日大前)駅の2地区を中心とした住宅市街化を画策していたが、いすゞ自動車を始めとする工場群や工業団地が設置されることを受け1960(昭和35)年に計画を変更。新しく藤沢市北部第一土地区画整理事業に基づき1964(昭和39)年頃から市街化の整備が始まり、1966(昭和41)年11月7日に長後・六会駅間の新駅として湘南台駅が開業した。
湘南台の街が出来た頃、2つの鉄道計画が動いていた。一方が横浜市高速鉄道(横浜市営地下鉄)で、1965(昭和40)年に発表された〝横浜市六大事業〟にて横浜市電・市営トロリーバスを代替する高速鉄道(地下鉄)の建設が構想されていた。元々は乗降客数の多い長後駅を終点とする計画であったが、地元商店街の反対運動により変更を余儀なくされ、新整備地区であり誘致も行っていた湘南台駅に乗り入れる計画となった。
もう一方は、1966(昭和41)年の都市交通審議会答申第9号にて検討路線として位置づけられた〝横浜6号線〟と呼ばれるものだ。東京方面―港北ニュータウン―二俣川―湘南台―平塚を結ぶ構想で、うち二俣川―湘南台―平塚の区間について相模鉄道(相鉄)が免許を取得。なお、横浜6号線は幾多の計画を経て〝神奈川東部方面線〟(相鉄・東急直通線)として神奈川県や相鉄の悲願となった。
藤沢市の計画と小田急の新駅、横浜市営と相鉄(ひいては直通運転による大規模ネットワーク)の新線計画により湘南台は一気に交通の要衝となる未来が開けた。なお一方の長後は次第に影を潜めていき、JR東海道・横須賀・山手・東北・高崎線直通運転系統(湘南新宿ライン)に対抗して2002(平成14)年に新設された湘南急行(現:快速急行)の停車駅にも選ばれることはなかった。
前史2 辻堂と幻のモノレール、そしてガイドウェイバス
SFCとバス一本で繋がるもうひとつの駅として忘れてはならない辻堂駅であるが、湘南台と比べて歴史が深いとはいえ、こちらも開業当初から設置されていた訳では無かった。1887(明治20)年に東海道線 横浜―国府津が開業し、1889(明治22)年には新橋―神戸が全通したが、辻堂に駅が出来たのは大正に入ってからの1916(大正5)年であった。請願駅であり、用地と建設にかかる資金は地元が負担。辻堂海岸にあった海軍砲術試験場への物資輸送を目的に、旅客及び貨物を取り扱った。2001(平成13)年12月には東海道線・横須賀線・東北線・高崎線が大崎・池袋経由で直通する通称「湘南新宿ライン」、2015年(平成27)年3月には東海道線・東北線・高崎線・常磐線が品川・上野経由で直通する「上野東京ライン」の運行がスタートし、山手線沿線や北関東からのアクセスが向上している。
ところで、辻堂駅から北へ数キロの大庭地区にて1971(昭和46)年から開発が行われていた湘南ライフタウン(西部ニュータウン)であるが、ここから辻堂駅へ繋がるモノレールが計画されていたことには触れておかねばならないだろう。1973(昭和48)年と1982(昭和57)年に計画が作成され、そのいずれもが藤沢市によるものではなく、前者は湘南モノレール(と日本モノレール開発)に、後者は日本モノレール協会によるものだ。ただし、辻堂遠藤線(辻堂駅―遠藤谷向(現在の湘南ライフタウン交通広場))の上を通ることは共通していた。さらに、SFC開設に合わせ新交通システム・ガイドウェイバスを高架敷設する計画もあった。いずれの案も実現には至らなかったが、もし実現していたらSFC開設時には延伸していたかもしれない。
前史3 県央部のバス事情
ところで、湘南台駅・辻堂駅からSFCへはバスでのアクセスが基本であり、多くの学生・教職員が利用しているの周知のとおりだ。学期中の平日は約150往復/日が乗り入れ、これらは小田急グループに属する神奈川中央交通(神奈中)が運行している。しかし考えてみると、辻堂は小田急沿線ではないし、そもそも神奈川県央部の路線バスを民営一社がほぼ全面的にカバーしているのはやや不思議である。ここでは県央部の路線バスがどのようにして現在の状況に至ったかを整理しておこう。
神奈川県のバス事業の起こりは1910年前後にかけて(明治末~大正初頭)であり、最初は厚木―平塚、次いで秦野―平塚と言われている。しかしながら、これらは軌道に乗らず数年で廃業している。
一方、現在は神奈川県中央部で一元的にバスを運行し「かなちゅうバス」でお馴染みの神奈川中央交通であるが、直接的な起源は第一次大戦後1921年に横浜市大岡町(現:南区大岡)で創業した「相武自動車」と、1923(大正12)年に横浜市浅間町(現:西区浅間町)で創業した「中央相武自動車」である。相武自動車は弘明寺から滝頭・鎌倉などを結ぶ幾つかの路線を運行したほか創業後は個人経営の乗合自動車を継承、中央相武自動車は横浜から長津田―鶴間―厚木を結ぶ路線を運行していた。1933年に自動車交通事業法が施行されると業界の統合が進み、相武自動車は1936年には戸塚・大和・長後・用田・厚木などで運行する「鶴屋商会」・戸塚―岡津(現 泉区)を運行する戸塚自動車商会を統合し「相武鶴屋自動車」となり、中央相武自動車も玉川電気鉄道(のちの東急玉川線、1969(昭和44)年廃止)の傘下に収まった。相武鶴屋自動車は1938(昭和13)年、玉川電気鉄道は1937(昭和12)年に東京横浜電鉄(現:東急電鉄)の傘下に入り、その中で相武鶴屋自動車が中央相武自動車を合併する形で社名を「東海乗合自動車」と改め、同じく東横傘下の関東乗合自動車(現:関東バス)町田営業所、江ノ島電気鉄道(現:江ノ島電鉄)の東海道線沿い2路線、および秦野自動車を合併した。なお、陸上交通事業調整法に基づき1942(昭和17)年に小田急・京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)、1944(昭和19)年に京王電気軌道(現:京王電鉄)が東横に統合され「東京急行電鉄」通称「大東急」が形成されると、東海乗合自動車もその傘下に収まることとなった。
第二次大戦の戦局が厳しくなると、陸上交通事業調整法に続き交通統制を目的とする戦時立法の「陸運統制令」が制定された(1940(昭和15)年施行、1941(昭和16)年改正)。同令に基づく鉄道省通牒において、神奈川県下の交通事業者を横浜・相模・地区外(箱根)の3ブロックに分けて統合することとなり、相模ブロックは東海乗合自動車が指定されると、1944(昭和19)年に伊勢原自動車、藤沢自動車を合併し社名を「神奈川中央乗合自動車」と改め、さらに江ノ島電気鉄道と相鉄のバス部門を譲受。もって今に繋がる「神奈中」が誕生した。社紋に展がる羽根は、戦時中に大東急傘下で発足した名残である。
神奈川中央交通の社紋
いまでも社紋に羽根を残す旧大東急傘下の企業は当社と神奈川都市交通のみ
終戦後に小田急電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄(現:京王電鉄)が東京急行電鉄から離脱し大東急が解体した際には、元々小田急の所管であった井の頭線(帝都電鉄→小田急帝都線→東急井の頭線)が京王へ移管されることとなった見返りとして、箱根登山鉄道(現:小田急箱根)と共に小田急グループ傘下へ編入。1951(昭和26)年には社名を「神奈川中央交通」と改め、西鉄グループに次ぎ保有車両数2位となるまで事業を拡大し現在に至る。
前史4 藤沢市北部のバス事情
戦時を通じ、神奈川県下の川崎・横浜・横須賀・三浦・箱根地区を除いた広範囲が神奈中の所管となっていったわけだが、われらが藤沢市北部もそれなりに歴史が深い。1923(大正12)年に片瀬自動車商会が藤沢―厚木、1924(大正13)年には寒川自動車商会が寒川―用田を結ぶ路線をそれぞれ開業させている。これらはのちに藤沢自動車を経由して神奈中へ統合されている。
戦後、藤沢市北部の路線は戸塚、藤沢、茅ヶ崎の各営業所が主に担当しており、長後や湘南台については戸塚営業所長後操車所(長後車庫, 1973(昭和52)年に藤沢営業所へ移管)や藤沢営業所用田車庫などを開設して対応してきた。
SFC誕生控え 綾瀬営業所開設
藤沢営業所の営業範囲が綾瀬や厚木の方面まで広範囲に及んでいたのに収集をつけ、鉄道駅のない綾瀬市のバス路線網を発展させるため、従業員168名、車両85両をもって1988(昭和63)年に綾瀬営業所が開設。広い敷地を擁し、将来の需要増大やSFCの通学需要に備えた。所属車両につける略号は、「あ」が厚木、「や」が大和で使用済みだったため、末尾の「せ」を使用することとなった。
綾瀬営業所の車両に付番される略号「せ」
SFC生まれる 湘23系統、辻34系統、湘24系統、湘26系統
1990(平成2)年、総合政策・環境情報の2学部をもってわれらがSFCが誕生。開設されたばかりの綾瀬営業所が輸送にあたり、湘23系統・辻34系統を運行した。当時は遠藤高倉線・遠藤宮原線の遠藤―慶応大学が開通していなかったため、湘23系統は北側の笹久保を経由。すぐに新道が開業すると経路をそちらに移し、旧経路は湘24系統として残されることとなった。
次いで、1992(平成4)年には湘南藤沢中高等部、1994(平成6)年には政策・メディア研究科が開設。バスの運行本数は次第に増えていくことになり、深夜バスとして慶応大学校舎から湘南台駅へ向かう湘26系統も開通する(この当時は湘南台駅東口―ドリームランド(現:俣野公園)の路線が湘25を名乗っていたため飛んで26が付番された)。
ちなみに、この頃は神奈中沿線で郊外キャンパス新設が相次ぎ、1990(平成2)年までの10年間で10の大学キャンパスが開設されている。SFCにほど近い文教大学湘南キャンパスも1985(昭和60)年の開設である。1991(平成3)年発行の神奈川中央交通70年史によれば、大学関連のバス輸送は年間を通じてのフル稼働ができないという問題を抱えながらも前向きに対処してきたそうだ。
横浜アクセス 地下鉄・相鉄の延伸開業と自由通路の供用開始
1999(平成11)年、待ち望まれていた相鉄いずみ野線(3月10日)と横浜市営地下鉄ブルーライン(8月29日)が延伸開業。同年10月10日には小田急江ノ島線も地下駅舎へ移行し、東西自由通路が開通した。
これらにより、湘南台は横浜各所から乗り換えずに来ることができる交通の要衝となり、利用客数は倍増。
一方、バスへの乗り換えがボトルネックとなり、湘南台駅西口の滞留者が増加。朝夕のバスは多くの積み残しを出すばかりか、乗れないバスを使わず自家用車を使う市民の増加により交通渋滞が頻発し、さらにバスの駐車スペースも慢性的に不足するようになったため、抜本的な改善が望まれるようになる。
日本初の路線定期運行ノンステップ連節バス 湘25系統
神奈中・藤沢市・慶應義塾の三者は、湘南台を取り巻く交通問題への切り札として、2005(平成17)年3月14日のダイヤ改正より湘25系統(急行)を開設、および日本初のノンステップ連節バス「ツインライナー」の運行を開始した。まずは2両が導入され湘南台駅―SFC間を毎時2~3往復し、同年秋にはさらに2両追加され4両体制で運行されるようになった。また、湘25系統と同時に、慶応大学バスターミナルから御所見地区を循環するフィーダーバス「ふじみ号」ふ01・ふ02・ふ03系統も設定された。これにより、SFCは藤沢市北部の交通結節点として一定の役目を果たすことになる。
ドイツ・ネオプランから輸入した「セントロライナー」報道発表時 SFC以西の道路整備がまだ進んでおらず、回送経路の都合で茅ヶ崎営業所が担当した
「ふじみ号」用小型バス 綾瀬営業所初のノンステップバスとなった
ツインライナー運行当初の時刻表[1]
ツインライナー運行開始後の構内経路[1] このときからバスがメビウスリングを一周するようになった。2005年9月以降は中高等部より先に大学院前バス停ができる予定だったが、20年経った今も工事すら始まっていない
鴨池急行 Sokankan
ツインライナーに時を同じくして、2005(平成17)年7月4日からは、本館ゾーンと看護医療学部を結ぶシャトルバスの運行が始まった。10月には公募によって決まった「鴨池急行 SoKanKan」という愛称が付けられ、現在に至るまで運行が続けられている。
運行初期の鴨池急行SoKanKan 当初は相愛交通が担当
湘28系統
2008(平成20)年9月5日からは、湘南台駅西口と慶応中高等部前を直通する湘28系統の運行が始まった。
ふじみ号廃止、湘19へ
2014(平成26)年8月31日をもってふじみ号(ふ01・ふ02・ふ03系統)が廃止され、翌9月1日より湘19系統(湘南台駅西口―慶応大学―宮原―用田辻―綾瀬車庫)の運行が始まった。これは、遠藤宮原線の延伸による道路状況の改善や利用客数の低迷、地元住民から湘南台駅へ直接アクセスしたいという要望などにより再編されたものである。
神奈中バスが中乗りに
2014(平成26)年9月26日より、綾瀬管内のツインライナーを除く神奈中バスの乗車方法が「前ドアから乗車・前ドアから降車」から「中ドアから乗車・前ドアから降車」に変更され、運賃も先払いから後払いとなった。これにより、スムーズな乗降やバリアフリー性の向上が図られた。
辻堂口にもツインライナー 辻35 &辻34経路変更
2018(平成30)年5月28日から、辻堂駅北口―SFC間でもツインライナーが運行されることとなり、辻35系統が設定された。同時に辻34のSFC付近の経路が新道経由に変更されている。また、SFC西部の道路整備が進み連節バスが走行できるようになったことから、この機に湘25系統が綾瀬営業所に移管され、辻35系統とともに綾瀬営業所で8両の連節バスを運用することとなった。
このときにはドイツのメルセデス・ベンツ社から輸入した新たな車両を増備し、翌年には湘南台―SFC間で用いられていた旧車4両も順次置き換え、さらに4両を増車。SFCには12両の連節バスが乗り入れるようなった。これは全国の大学キャンパスで一番のことである。
Sokankan自動運転開始
2022(令和4)年5月12日から、大前研究室・SFC研究所・神奈中の三者によって鴨池急行SoKanKanの自動運転実証運行が始まった。GNSSやLiDARといった技術で自己位置推定を行い、自動運転や衝突回避のための制動が行われる様子を体験することができる。
鴨池急行SoKanKan 自動運転車両
Next神奈中 …
神奈中は2021(令和3)年に創立100周年を迎え、さらに2023(令和5)年度に増備する新車からはカラーデザインを一新。変わりゆくSFCを変わらず走り続けた神奈中バスは、SFCが落ち着いたのを見届けたかのように変わっていくこととなった。
新デザインの第一号車はSFC万学博覧会2023にて展示された。ボンネットバス末期の頃から親しまれてきた塗装を一新し、縦割りが特徴的なデザインを採用
SFC構内を走る新デザインの神奈中バス
SFCとバスのこれから
開設から35年間、バスとは切っても切り離せない関係であったSFCであるが、状況を一変させるのが相鉄いずみ野線の延伸計画である。これは現在の終点である湘南台から、南大山付近、健康と文化の森(SFC・慶育病院周辺)付近を経由して倉見まで延伸するものだ。湘南台から先の延伸については古く横浜6号線計画の頃から姿を変えつつ存在しており、最新の計画における目標年次は2030(平成42/令和12)年度。今のところ果たしてこれに間に合うような雰囲気ではないが、実現すれば2023(令和5)年に開通した神奈川東部方面線(相鉄・東急直通線)と合わせ、乗り換えなくSFC・日吉・三田・志木を往来できる時代が到来する。
一方、しばらく続くバス通学にも改良の見通しがある。夕方や週末の渋滞がひどくバス遅延の原因ともなっている県道410号・遠藤宮原線の遠藤から円行二丁目までにかけて、4車線化する事業が進行中だ。すでにセットバックや用地買収の進捗も見受けられ、2035(令和17)年ごろまでの共用開始が計画されている。
果たしてこれから10年後、SFCとバスの関係はどうなっているだろうか。
出典
・慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス. 湘南台駅西口‐SFC間の連節バスの運行についてのお知らせです。. 湘南藤沢事務室 総務担当, 2005.
参考文献
・神奈川中央交通株式会社. 神奈川中央交通70年史. 神奈川中央交通70周年記念行事準備委員会, 1991, 175p.
・神奈川中央交通株式会社. 神奈川中央交通100年史. 神奈川中央交通総務部, 2021, 200p.
・神奈川中央交通株式会社. 神奈川中央交通(ホームページ). https://www.kanachu.co.jp/. (参照2025-02-06)
・小田急電鉄株式会社. 小田急75年史. 小田急電鉄株式会社社史編集事務局, 2003, 277p.
・藤沢市. 藤沢市公式ホームページ. https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/. (参照2025-02-06)
・公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団. ハマ発NEWSLETTER 横浜都市発展記念館館報第30号. 横浜都市発展記念館, 2018, 8p.
・藤沢土木事務所. 県道410号(湘南台大神伊勢原)4車線化事業. 藤沢土木事務所 道路都市課, 2024, 4p.
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